Wntシグナルの薬と治療標的の最新知見

Wntシグナル伝達経路を標的とした薬の開発は、がん治療の新たな可能性として注目されています。阻害剤の種類から臨床試験の現状、医療従事者が押さえておくべき最新知識まで、現場で役立つ情報を詳しく解説します。あなたはWntシグナル薬の「意外な落とし穴」を知っていますか?

Wntシグナルを標的にした薬の種類と最新の治療戦略

Wntシグナル薬はがんに「すぐ効く既存薬」だと思っていませんか?実は、2026年現在もWntシグナルを直接標的にした薬で「医薬品として承認済みのもの」はゼロです。


関連)https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2016/0826/index.html


Wntシグナルを標的とした薬の3つのポイント
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承認済み薬はまだ存在しない

大腸がんの80%以上でWntシグナルが異常活性化しているにもかかわらず、実用化された医薬品は現時点でゼロです。

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複数の阻害剤が臨床試験中

E7386(エーザイ)などのCBP/β-カテニン阻害剤が第I・II相試験まで進行しており、有望な結果が出始めています。

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既存薬の「再利用」という視点

イベルメクチンなど、別の疾患に承認された薬がWntシグナルを阻害することが判明し、ドラッグリパーポージングとして研究が進んでいます。


Wntシグナルとはどんなシグナルかとβ-カテニン経路の基本

Wntシグナルは、胚発生から成体組織の維持まで広く機能する細胞間の情報伝達システムです。 代表的なのが「正準経路(β-カテニン依存性経路)」で、Wntタンパク質が細胞表面の受容体Frizzledに結合すると、β-カテニンの分解が抑制されて核内に蓄積し、標的遺伝子の転写が活性化されます。 これが基本です。


関連)https://www.amed.go.jp/news/release_20190509.html


正準経路以外にも「非正準経路」があり、細胞極性や移動に関わる「平面内細胞極性(PCP)経路」、細胞内カルシウム濃度を調整する「Wnt/Ca²⁺経路」が存在します。 つまり、Wntシグナルを「一律に抑制する」薬を作ろうとすると、正常組織への影響が出やすく、これが創薬の大きな壁になっています。


関連)http://leading.lifesciencedb.jp/7-e009


医療従事者として把握しておきたいのは、Wntシグナルは「骨粗鬆症」「肝線維化」「歯の先天異常」など多疾患に関与している点です。 がん以外でも創薬標的として注目されていることを知っておくと、患者への説明や論文読解に役立ちます。


関連)https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15K09037/


Wntシグナル阻害剤の主な薬剤の種類と作用ポイント

Wntシグナル阻害剤は、経路のどこを狙うかで大きく分類されます。 これが条件です。


関連)http://leading.lifesciencedb.jp/7-e009


主な作用点は以下の通りです。


分類 標的 代表的化合物 特徴
Wnt分泌阻害 Porcupine(PORCN) WNT-974、LGK-974 Wntタンパク質の産生自体をブロック
受容体レベル阻害 Frizzled受容体 OMP-18R5(vantictumab) Wntと受容体の結合を遮断するモノクローナル抗体
β-カテニン経路阻害(CBP) CBP/β-カテニン相互作用 E7386(エーザイ 転写複合体の形成を阻害;臨床試験フェーズII進行中
アキシン安定化 タンキラーゼ XAV939 β-カテニン分解複合体を安定化してシグナルを抑制
Ror1抗体 Wnt5a-Ror1非正準経路 Cirmtuzumab(UC-961) 非正準経路を阻害するモノクローナル抗体




関連)https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/24526


エーザイとPRISM BioLabが共同創製したE7386は、国立がん研究センター中央病院でフェーズII試験まで実施されており、日本発のWnt創薬として注目度が高い薬剤です。 これは使えそうです。


関連)https://www.eisai.co.jp/news/2021/news202181.html


また、Wntシグナルは腫瘍内のCD8陽性T細胞の浸潤を抑制する働きも持つため、E7386は免疫チェックポイント阻害剤(抗PD-1抗体)との併用によって相乗効果が期待されています。 がん免疫療法との組み合わせが今後のカギになりそうです。


関連)https://www.eisai.co.jp/news/2021/news202181.html


Wntシグナル薬の実用化が進まない理由と創薬の壁

「Wntシグナルは優良な治療標的のはずなのに、なぜ承認薬がないのか?」という疑問は、多くの医療従事者が持つ問いです。


最大の障壁は、大腸がんの80%以上でみられるAPC遺伝子の機能喪失変異の位置にあります。 Wntシグナルの「上流」ではなく「下流」でWntが活性化するため、リガンド産生やPorcupineを阻害するタイプの薬剤が効きません。 つまりAPCを標的にした薬が根本的に必要ですが、これはきわめて難しい標的です。


関連)https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2016/0826/index.html


さらに、Wntシグナルは腸管上皮の正常な幹細胞維持にも必須です。 Wntを強く抑えると、腸管の自己複製能が失われて消化管毒性が発現します。厳しいところですね。


関連)https://www.ccb.osaka-u.ac.jp/wpccb_handle/wp-content/uploads/2022/03/KikuchiAkira2021JP.pdf


有効性と安全性のバランスをとるために取られているアプローチが「経路の下流に近い箇所、たとえばβ-カテニンとCBPの相互作用だけを選択的にブロックする」設計です。 E7386はまさにこの設計思想に基づいており、正常幹細胞への影響を最小限にしながら腫瘍のWnt依存的増殖を抑えることが目標とされています。


関連)http://leading.lifesciencedb.jp/7-e009


もう一点、臨床現場で意識してほしい事実があります。Wnt阻害剤の臨床試験における評価指標として「バイオマーカー」がまだ確立していないため、どの患者に投与すれば効果が出るのかが判断しにくい状況です。 効くかどうかが事前に分からないことの臨床的インパクトは大きく、医療従事者として今後のバイオマーカー研究の動向を継続的にフォローする価値があります。


関連)http://leading.lifesciencedb.jp/7-e009


参考:Wntシグナル阻害剤の臨床試験に関する最新情報(LifeScienceDB掲載)
Wntシグナルの研究を基盤とした新規の抗がん剤の開発(LifeScienceDB Leading Authors)


Wntシグナル薬の臨床試験の現状と国内の治験情報

現在、世界で複数のWntシグナル阻害剤が臨床開発段階にあります。注目すべき薬剤と試験の概要を以下に整理します。


関連)https://phase1-oncol.ncc.go.jp/clinicaltrial/ct2929/


  • 🔹 E7386(エーザイ):CBP/β-カテニン阻害剤。国立がん研究センター中央病院でフェーズI(固形がん)およびフェーズII(固形がん+抗PD-1抗体併用)試験が実施された。日本発の開発品として国内外で注目を集めている。
  • 🔹 LGK-974(Novartis):Porcupine阻害剤。乳がん、膵臓がんなどを対象にフェーズI試験が進行中。
  • 🔹 PRI-724:β-カテニン/CBP阻害剤。慢性骨髄性白血病(CML)や肝線維化を対象に試験が実施されており、抗がん目的以外への応用も模索されている。
  • 🔹 Cirmtuzumab(UC-961):Ror1に対するモノクローナル抗体。Wnt5a-Ror1非正準経路を阻害し、慢性リンパ性白血病(CLL)などで評価中。


国内で治験情報を確認する際は、国立がん研究センター先端医療科の公式サイトや、JRCT(Japan Registry of Clinical Trials)が有用です。 バイオマーカーに基づく患者選択を前提とした設計の試験が増えており、適応患者の特定基準も確認しておくのが原則です。


関連)https://phase1-oncol.ncc.go.jp/clinicaltrial/ct2929/


エーザイの第II相試験では、Wntシグナル活性化によって抑制されていた腫瘍浸潤T細胞が、E7386投与により活性化される可能性が示されています。 免疫チェックポイント阻害剤が「効かない」とされる患者にも、Wnt阻害薬の追加で奏効率が改善するかもしれないという仮説は、臨床的に見逃せない視点です。


関連)https://www.eisai.co.jp/news/2021/news202181.html


参考:エーザイE7386の臨床試験プレスリリース(エーザイ公式)
エーザイとPRISM BioLab共同創製のCBP/β-catenin阻害剤E7386の第I相試験成績(エーザイ株式会社)


Wntシグナル薬の医療従事者が知っておくべき独自視点:ドラッグリパーポージングの最前線

Wntシグナル創薬で見落とされがちなのが、「新規合成化合物」以外のアプローチです。既存薬の中にWnt阻害活性を持つものが複数発見されており、このドラッグリパーポージング(既存薬再利用)の動向は医療現場に直接影響し得ます。


関連)https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201902263460399362


代表格が抗寄生虫薬のイベルメクチンです。岩手医科大学の研究グループにより、イベルメクチンがmTOR複合体の構成因子「TELO2」に結合することでWntシグナルを阻害することが実証されました。 これは新機序の抗がん作用として注目されており、Wntシグナルと直接的に相互作用するメカニズムが明らかにされています。さらに岩手医科大学の研究では、イベルメクチンの誘導体化によってWnt阻害作用を強化しつつ中枢神経抑制作用を軽減した新規化合物の創成にも成功しています。


関連)https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-21K07182/


結論は「既存薬にもWnt関連作用が隠れている可能性がある」です。


転移性トリプルネガティブ乳がん(TNBC)を対象にしたイベルメクチン+免疫チェックポイント阻害剤(バルスチリマブ)の第I/II相試験では、臨床ベネフィット率37.5%という結果が報告されており、重篤な副作用は限定的だったとされています。 動物モデルのような完全奏効とはいかないものの、「有望なシグナル」として試験継続中です。


関連)https://www.youtube.com/watch?v=YuausobkeAo


もう一つ重要な点があります。大腸がんの9割でAPC変異によりWntシグナルが活性化していますが、その下流の核内転写複合体(β-カテニン/TCF)をブロックする化合物の探索で、天然化合物ライブラリーのスクリーニングも積極的に行われています。 微生物や植物由来の天然物からWnt阻害活性を持つリード化合物を特定する研究は、日本の研究機関でも継続中です。医療従事者として、こうした創薬の上流にある研究トレンドを把握しておくことが、今後の臨床実践や患者への情報提供に生きてきます。


関連)https://katosei.jsbba.or.jp/view_html.php?aid=284


参考:岩手医科大学によるイベルメクチンとTELO2を介したWnt阻害の研究論文(PDF)
抗寄生虫薬イベルメクチンによる抗がん作用を仲介するヒト標的分子(岩手医科大学)


参考:Wntシグナルの立体構造解析とAMED研究成果(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)
多くの疾患に関与する「Wntタンパク質」の立体構造をついに解明(AMED)